翁犬ブログ

老犬ラブラドールの日々

中国返還前の香港でのクリスマス

そろそろ30年になるかという昔のこと。僕は沢木耕太郎の著作「深夜特急」に感化され、数カ月に渡るアジアバックパッカー旅行をしたことがあった。

その頃の香港はまだ中国に返還されておらず、イギリス領だった。タイミングとしてはたまたまだったのだが、僕は返還前年の年末、クリスマスシーズンに香港を訪れていた。

旅をはじめてまもなく、中国北京において、冬の厳しい寒さと一人旅の寂しさで心まで冷え切った僕は、暖かい香港へと逃げるように移動した。そんな香港では、日本語を求めて、日本人が多く泊まる安宿に泊ったのだが、自分より若い奴らがやたらチャラく見え、誰がこんな奴らと話すかとスカし、宿においてあった漫画「沈黙の艦隊」を、香港観光をするでもなくただただ読むという、しょうもないことをしていた。

しかし、あまりの寂しさに耐えかねて、到着二日後には日本人と連れ立って晩飯を食いにくという根性の無さを露呈した。そんな時、このブログコメントでもおなじみの、熊猫師に出会ったのだった。当時の彼はソバージュのロン毛で、胡散臭いひげまではやしていた。「いけ好かないやつだ。」というのが、僕のいた二段ベッドの上の段にやってきた師への第一印象だった。

彼の怪しい風体にベテランバックパッカー感を感じた海外旅行超初心者の僕が、嫉妬し、対抗心を燃やしたがために生まれた、何の根拠もない、安物のプライド人間のクズ極まりない決めつけだった。

後から聞くと実は師も、自分と同じくバックパッカー旅を始めたばかりだった。その後更に旅を続けた上で気づくのだが、かなり旅慣れていくと、わざわざ自分が旅行者であるというような、あからさまな服装などはしない。そうするリスクの方が遥かに大きいからだ。そんないかにもバックパッカーな格好とか、現地の民族衣装的格好をしているのは、カッコつけか、嬉しがりか、もしくは浮かれた旅行初心者だった。日本人で現代において和服を着ている人は少ないけれど、外国人観光客が浴衣や着物で観光しているのはそこそこ見るというのを想像してもらうとよく分かるかと思う。

勝手にベテラン旅行者と決めつけた師に、訳の分からないしょうもないライバル心をいだき、無駄に意識しながら、更には自分の心の中でだけ、「パーマロン毛」という悪いあだ名まで付けて、僕は彼がどんな風に香港で過ごしているか注目した。

ただ、後で聞いた話だが、一方の師も、同じように僕の動向を伺っていたらしい。若者のやっすいプライドは、どこまでもしょうもない。

しかし、さすが安物のプライド、その後2日が経過すると、僕は他の日本人達と一緒にビザを取るための手続きをしに行くのに、師とも一緒に行動した。それは絵に描いたようなつるむ日本人の典型的な行動だった。更にはその日から、共通の連れを介して、一緒に晩飯も食ったりするようになるのである。

そしてこの後、クリスマス休暇により年末までビザの発給を待つ間、時に師と一緒に飯を食べ、その時にお互いにベタベタまでいかない関係性が気に入って、その後マカオ・広州・陽朔まで、ダブル部屋のシェアができるゆえに宿代を節約できるということもあって、20日間ほど一緒に旅を共にすることになったのである。

その後、陽朔で別れた後も、旅先の日本大使館や日本の家に手紙をだして連絡を取り合ったり、日本帰国後も飲みに行ったりで、今も友達なのだが、当時はここまで続くなんてことは全く思っていなかった。ほんと、人間の縁というものは不思議なものである。


九龍街の上を飛ぶ飛行機
この当時はまだ九龍街低空を
飛行機が飛んでいました


 


スターフェリー乗り場からの夕景




LIPPOビル
風水から設計されたという
鏡面ビル




水上レストラン
この頃はまだ
燃えよドラゴンに出てくるような
小舟も浮かんでいました



水上レストラン
この水上レストラン ジャンボ
20年に廃業し
今年曳航中に南シナ海
沈没しています

行き先が明かされていなかったゆえ
計画的な沈没も噂されている様子
時の流れを強く感じます

 


アバディーンの海辺




ビクトリア・ピークへ行くトラム
(ケーブルカー)
ちなみに僕は、時間があったので
チケット代をケチり
歩きでピークまで登りました




ピークから見た
高層ビル群




1996年クリスマスイブの
中国返還前の香港
ビクトリア・ピークからの
100万ドルの夜景

山頂のスーパーでビールとパンを買い
屋外のベンチでひとり飯
なかなかに侘しいクリスマスイブでした


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