翁犬ブログ

老犬ラブラドールの日々

ペットの訃報マナーという記事を読んで

先日、ペットの訃報マナーについての記事が同時期に2つほど出ていました。

 

news.yahoo.co.jp

news.yahoo.co.jp

※上段記事にリンクした形で、後日に下段の記事が投稿されていますので、両記事には関連があります。

今までも、ペットの訃報をSNSに上げることについては、個人的に思うところがあったのですが、決して読み心地の良いネタではありませんので、記事にするのを躊躇する部分がありました。

しかし、公にこういった提言記事が出たこともあるので、全く情けない根性ではありますがそれに乗っかって、ベースが毒吐き野郎である自分も久々に毒を吐き、ブログ読者やツイッターのフォロワーがバンバンいなくなることを気にすることなく、好き勝手書いてみようと思います。

自分も一度、メッチャ好きだった愛犬を、老齢による病で亡くしたことがあるので、ツイッターなどでペットの訃報を見るとまず、その過去の悲しみを思い出し、心が痛みます。よって飼い主の方の悲しい気持ちは、ある程度は分かるように思います。

ツイッターというSNSは、自分がフォローしている方や、フォローしている方が興味のあるネタ、または自分が興味のあるジャンルや、いわゆるバズっているネタなどが、こちらが選ばずとも勝手に流れて来るのが特徴です。これがツイッターのいいところでもあるし、また、よろしくないところでもあると思いますが・・・・・・。自分の場合は、ツイッターに流れてくるタイムラインは、ほぼ犬ネタ(もしくはペットネタ)です。

うちの犬が老犬ということもあって、老犬関連記事として、訃報が流れてくることも時にあります。訃報記事自体には、悲しみこそ湧き上がりますが、特にとても嫌だと思うことはありません。まあ、たまたま連続したりすると心削られますが・・・・・・。

ペットを飼っている以上、そのペットの死はいつか必ずやってくることですし、それをSNSなどで報告すること自体、悪いことだとかは全く思ってはいません。しかし、そんな訃報記事の中で、時に自分が全く見たいと思っていない、「亡骸写真」が目に入ってくることがあります。

自分には、多くの人に愛犬の最期の姿を写真で見て欲しいとか、また、愛犬の最期を詳細に報告したいという気持ちは、全くありません。それは、自分がそういったものを見るととても悲しい気持ちになることや、フォローだけの関係性でしかない、よく知らない方のペットだと、詳細文や写真は、あまりに生々しすぎて時に目にするのが厳しすぎたり、また大変どんよりした気分にもなるからで、そんな風に自分の場合は思うゆえに、他の方には同じような気分になって欲しくないので、写真や詳細を上げる気にはなりません。

自分の場合訃報記事は、ペットとの楽しかった思い出や、元気な頃の写真で埋めて頂きたい、また自分の場合も、もし書くならそうしたいと強く思っております。

ただ、自分が愛していた犬がいなくなって悲しすぎるがゆえに、愛犬の最期を沢山の人に見て欲しい、知って欲しいという気持ちも、少しは分からないでもないです。ですが正直、自分は例え自分の犬であったとしても、亡骸の写真は見たくありません。申し訳ないのですが大変にひどい言い方をしてしまうと、自分にとってよく知らない方のペットの亡骸は、ただただ「遺体」にしか見えないからです。

なお、皆様の愛するペット達も、どこの馬の骨かわからない知らないおっさんに、自らの最期の姿を見られて、こんな風に思われたいなんて、決して思ってはいないと思います。そう思うこともあって、「自分の愛するペットの写真が、一部の人であれ不特定多数に公開することで、そんなネガティブな気持ちを生んでいるなんて、めっちゃ悲しいと思いませんか?」と、そういう写真を見た時に、自分は強くそう思うのです。

ちなみに自分は、めっちゃ弱っている動物の写真とか、怪我をしている動物の写真とかも、大変に苦手です。もうしんどくてみていられません。そういう写真を比較的頻繁にツイートしたり、またリツイートしたりする方の投稿については、そっとミュートにして見なくて済むようにしていますが、できればそういう写真は、初手から不意に見られないようにして欲しいと、イーロンマスクにお願いしたい位です。

あと、ペットを家族のように思っておられるのにもかかわらず、その亡骸の写真を全世界に発信するという行為が、自分にはちょっと理解ができません。「自分の父母兄弟など実際の親族の亡骸を、写真に撮ってSNSに載せる」という行為と、自分にとって同義だからです。

ペットでなく人であれば、そもそも亡骸の写真すら撮る人は少ないかと思います。ペットなら撮っていいのか?自分の大切な家族だと思うなら撮らないのじゃないだろうか?また、個人的にどうしても思い出として残したくて撮るのはいいとしても、不特定多数にネガティブな感情を抱かせるリスクまで取って、わざわざそれを見せる必要はまったくないのではなかろうかと、自分の場合そんな風に思うのです。

自分は、親族もペットも、どちらの亡骸の写真も、今後も撮ることはないと思いますし、故に公に写真を公開するようなこともありません。

ただ、そういった行為を全否定している訳ではありません。考えの違いはもちろんありますので、そうされたいと思う方は、されてよろしいと思います。ですが、できればそれらの行為は、ご自身やそれを理解しているご家族、お友達の方々の中でのみ共有していただきたいのです。

そういったものを見るのがとても辛い人間もいるということを認識して頂いて、特に不特定多数が見る可能性があるSNSでは、それらの扱いについて配慮して頂けないかと思うのです。

ツイッターなどにおいてはセンシティブな画像等に設定していただいて、能動的にこちらからボタンなどをクリックして見なければ、見られないようにして頂くなどのご配慮をいただければ、大変ありがたいと思う次第です。

※ なお、この記事自体が、「こんな酷い記事読みたくなかった。」となる可能性についても十分に承知しています。故に能動的に見るブログでの投稿とし、ツイッターでのリンクについてはその旨書くことにしました。