老害という言葉がよく言われるようになり結構な時間が経ちます。
若者に、「老害」などとはっきり言われるようになった背景には、若者がそういう事を言っても、ジジババに、「年上になんて口をきく!」などと激しく罵倒されたり、子供の場合は、しつけという名の下で暴力を振るわれることがすくなくなったという時代的な背景もあると思います。
おっちゃんが若かった頃は、親や先生にそんなこと言ったものなら、したたかぶん殴られたものです。そもそもあの頃は、ほんとしょうもないことでも、なんだかんだすぐにどつかれる時代でした。いやあ、ほんと時の変遷を噛み締めます。
なお、暴力は暴力の連鎖を生みます。自分がやられた腹いせに、自分より弱いものや、老いにより弱くなった親、そして自分の子供などに負の連鎖として息づいていきます・・・。
しかし一方で、小さな子供に暴力は論外としても、自我が芽生えて一端の10代や、大人においては、ぶん殴られたほうがいいなと思うような阿呆はいると思ったりする、殴られることで理解したこともある世代の自分もいたりします。ただ、そんな奴らは殴られても、自分同様、その暴力でダメだということを芯の意味まで理解することは、ほとんでできないでしょうから、結局暴力では「制圧」はできても、理解したうえで矯正することはほぼできないと思う次第です。
さて、話は老害へと戻りますが、確かに、じじばばになると頑固になったり、老齢ゆえのこだわりや、考え方の柔軟性のなさにより、昔のままの己の考え方が、間違いのない正解として固定され、時代の流れなどによる最新の世間の常識にアップデート出来ないことにより、大幅に考えがズレ、害を与えている人もいるのは間違いないと思います。
前記の、「わからないやつは、畜生同様ぶん殴ってわからせれば良い」というような考え方も、まさにアップデートができていない老害的考えの、最たる例かと思います。
しかし、若者が十把一絡げで老人たちを老害と言う行為も、どうなのかと思うのです。当の老害達に、同じように十把一絡げで「イマドキの若いもんは・・・」などと言われたことで激しく憤怒し、その意趣返しにやっているのであれば、まだそこそこは理解もできます。
ですが、「イマドキの・・・」などと言っている嫌悪すべき老害と、基本的には同じようなことを発言しているということを理解したうえで、不特定多数の老人に向かってSNSなど公の場などで発言するのではなく、自分に害を与えた老害に直接、しっかり意見する形で、「あなたはこういう理由で老害である。よってこうするべきだと思う」と、告げるのが筋ではなかろうかと、そう老害は思うのです。
老害にとっては、今どきの若い奴らこそ、自分の若かった時より全くもってけしからんと思っているがゆえに、(※)やたら説教くさかったり、しょうもない昔自慢でマウントを取ろうとして「今どきの若もんは」と嘆き、一方の若いものは、イケてて柔軟な自分たちと違う、保守的で頑固な老害をまとめて馬鹿にして「老害」と言う。
このような程度の浅い発言なのであれば、老若は関係なく、同じレベルの輩と言えるのではないかと思うからです。
(※ちなみに、この「今どきの」は、なんと紀元前から人間が言っている文言のようです)
要するに、若かろうが、じじばばであろうが、人様に迷惑をかける、いわゆる害を及ぼす輩というのは、どの年代でも常に一定数います。ただ、その数はその世代の大多数というわけではありません。アホで迷惑であるがゆえ、いかんせん目立つので、メディアなどでクローズアップされやすく、たくさんいるような気がする面があると思われます。
例としては、若い人であれば、なぜか成人式で暴れる阿呆とか、老害だと、公の場で喋ったりする機会が多い、政治家とかお偉い方々とかです。いずれも、比率で言えばピックアップされる人はごく少数で、大多数は至って普通の人達です。
まあ、政治家やブラック系の会社のお偉い方に関しては、実はかなり阿呆なのに権力をふりかざし、それにかしずく方々も、実は強力なパワハラを受けていたりするにも関わらず心酔していたり、更に利害があるがゆえに、先生、社長などとチヤホヤしながら耐え忍ぶゆえに、老害率はかなり高いようにも思います。ただ、政治家に関しては老若関係なく、おしなべてそういう輩が多いようにも思いますので、その辺は職業上!?の特徴と言えるかもしれません。今話題のパワハラ殺人疑惑知事とかもそんな感じですね。
ということで個人的には、老害もありゃ、若害(そんな言葉はありませんが)もあるから、それはお互い様だと思っていたりします。
なお、年代は関係なく、超保守的で頑固な、考え方が全く柔軟でない輩も、若かろうがジジババであろうがいます。ただ、長く生きている分ジジババのほうが、よりその数が多いのは間違いないとは思います。
また、ジジババは、日本が未だ年功序列社会ゆえ、社会的・公的な場に出ることが多い分、若者より老害面が紹介されやすいという点もあるかと思います。また、年取っていることは何故か偉いと勘違いしてるジジババは、若者に対して無駄に偉そうな分、より不快感を強く持たれるということもあるがゆえに、クローズアップされやすいということもあるかと思います。
そう分析すると、「いや、やっぱり老害は厳然としてあるじゃないか」ということになりますが、それはその通りです。老害はあります。
しかし、今回この記事で言いたいのは、老人の大多数はそういう老害な考え方はあっても、常日頃からメッチャ口に出してそれを押し出してはいないし、一方若いのでも、そんな老害的な考えをしている輩もいるよね、ということだったりします。
なんにしても、おっちゃんもこの年にして「老害」と言われるのは、考え方に全く柔軟性がなく、人の言うことを理解したり聞こうとする能力がない、「どうしようもないジジイ」と言われているようで、できるだけ避けたいと思っています。
が、だからといって若者にやたら迎合するのも、無駄な若作り感が溢れてしまってダサいので、程々の良い感じで自己を持ちつつ、若い意見にも柔軟に対応し、お互いを尊重しながら、決して一方的な説教でもなく、喧嘩でもない、ちゃんとした「討論」ができればと思っている次第です。
ちなみにそんなおっちゃんの老害的な深層意識を、「犬を飼う」というテーマで披露すると、犬を飼うのは外飼もしくは放し飼い。犬をお風呂に入れるなんて考えたこともない。餌は人間の残り物、ご飯に味噌汁ぶっかけたやつ。服着る犬なんかええカッコしいのザーマスおばさんの小型犬。悪い事をした犬は、パンチかキックで分からせる。おしっ○とうん○は外でさせてそのまま放置。って感じです。
ただ、そのような意識の人が大半だった時には、自分は犬を飼ってはいなかったので、実際には、そういうことはしていません。
そんな、現代でやれば動物虐待でもある、超老害まっしぐらなイメージも未だ心の奥底に持っているおっちゃんではありますが、翁がいる今は、そんな老害感覚も多少は現代風にアップデートされ、シックな毛玉ロゴの服を着た犬と ※翁の新しい服シリーズ - 翁犬ブログ 家の中で暮らし、月一でお風呂に入れ、味付けをしない専用のフードを時に手作りし、歯磨きやブラッシングを自分以上にして、散歩の前には○しっことう○こをさせてから、という生活を送っております。
ちなみに翁は、老いまっしぐらですが、害はなんにもありません。強いて言うならおくちがちょっと臭いくらいでしょうか。老いゆえの嫌味もいわず、わがまま放題な行動をするでもなく、こちらが若いからといって蔑むことも上から目線もなく、日々可愛いじいさんです。ありがたいことです。
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